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背反する概念を実践すること。ロバート・K・ グリーンリーフ『サーバントリーダーシップ』を読んで

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この時代「コミュティ」や「地域」また個人でプログラムや副業を行う人が多くなってきたときに、ビジョンやコンセプト、このコミュニティは何であって何ではないのか、また、どこへ向かうのか、そして課題の多く、変わることの難しい現実をどうやって変えてゆけばいいのかという疑問や問いに向かいあう人に、もしかしたらヒントとなるのが、サーバントリーダーシップ、トラスティという概念かもしれません。

サーバント、奉仕者というと、ボランティアや、キリスト教的なイメージがついており、フォロワーシップの本かなという誤解がありました。またアジア学院でも傾聴の事が大きく取り上げられる印象だったので、本書を読み始めて、ある程度スケールのある、組織変革を行う、例えば財団だったり、企業だったりする中でポテンシャルを発揮する、本格的なリーダーシップであるという驚きが、かなりありました。

「奉仕する」という概念が、多くの人の躓きになると思うので、その意味をまず明確にしたいと思います。あなたは、生きるうえで、どんな価値があるどんな人生を生きたいですか?と問われたときに、どう答えるでしょうか?

「富と名声」という風に自分中心のことも、もちろんあるかと思いますが、人の役に立つことをしたい、社会的に意義がある仕事をしたいという人も、少なからずいるのではないでしょうか?一切ひととかかわらず、自分の幸せを追求するだけではなく、行った仕事が、社会的な価値を持つことであり、多くの人から「ありがとう」と声をかけられる仕事があるのであれば、そちらがより魅力的に見えるのではないでしょうか。それが実は「社会的な奉仕」として、とらえられるのだと思います。

また「人格」をもつのは、今は人間だけではなく、企業も「法人」として存在します。また、「国家」も同様であるかもしれません。企業も今は国家を凌ぐほどのスケールとインパクト企業が利己の利益の最大化を目的とすると何が起こるか、どれだけ外部不経済と呼ばれる地球環境や第三世界の人に大きな影響をあたえるのかは、十分語りつくされていると思います。その結果として、株主だけではなく、地域社会や社会的な責任を企業に求める時代になってきました。これは、ある種の奉仕であり、社会課題を解決しようというコンセプトの企業も存在し始めています。企業は地域社会や人々の間で活動し、組織化される以上、何らかのコンセプトと目的を掲げるうえで自然と「サーバント」という問いと「リーダーシップ」という問いを通ることになるのではないでしょうか。

この2つの問が重要となるとはいえ、サーバントリーダーシップは、背反するコンセプトを持つ言葉です。その中核のイメージは、ヘルマンヘッセの「東邦巡礼」であると語られます。

ヘッセは「知と愛」で知られ、一見西欧文化のキリスト教的な作家と思われるかもしれませんが、東洋思想や矛盾するコンセプトが一つの中にある、両義的な世界観を好む作家であり、晩年にはこの「東邦巡礼」だけではなく「荒野の狼」などの作品も残されている作家であります。「知と愛」という所期のころから、背反する2つのコンセプトで、荒野の狼では、自分の名前の女性名詞なども駆使しながら、世界を構築しているヘッセを引用するあたりから、おいそれとその本質をつかませてくれる概念ではないことが、うかがい知れます。

そんなヘッセの「東邦巡礼」にインスパイアされた、このサーバントリーダーシップも、サーバントでありながら、リーダーであるという両義的な極の概念にそれぞれが降り切れているにも関わらず、それが並列して存在してところに真価があると思います。サーバントの視点を持ったリーダーでも、リーダーの視点を持ったサーバントではないのです。背反するサーバントと、リーダーという2つの素質をもつことが必要であるというのです。

ここでいう、リーダーは正統的なビジョン正しいビジョンを示して、その実現のために権力を行使して、そのほかの意見を愚かなものとして押さえつけるものではありません。むしろ、人の話を聞き、対話をし、人々が予見できないものを予見し、感じ取ることができないものを感じ、それをビジョンやコンセプトを人々に示し、丹念に説得を行うような存在です。

アメリカ合衆国の憲法草案に先立つ法令集を書いた、トーマスジェファーソンや、A.A(アルコール・アノニマス)クエーカー教徒の奴隷解放、フォルケホイスコーレなどの偉大なコンセプトを伴う仕事は、サーバントリーダーシップの資質によってなされたものだと語られます。

これらは、確かにトップダウン型のアイディアとコンセプトによってなされたものではなく、個人の先見的なビジョンや対話によってなされた仕事です。歴代の大統領や、偉人、また人々のケアに生涯をささげた人たちではなく、このような歴史に残り続けるコンセプトを打ち出した仕事に就いた人々がこの本の中で引用されているのは、サーバントリーダーシップという概念を深く理解するうえで、一考に値することです。

その要素の中には、人の話を丹念に聞くこと、丹念に対話をすること、人々が帰ってくる場所を作ることがある一方で、リーダーとしての素質も必要となります。それは、先見性や、言語化、例えばデンマークでグルンドヴィが農民生活学校として立ち上げたフォルケホイスコーレなどの画期的なシステムをコンセプトとして、示せることが必要です。

サーバントリーダーの中のイメージに、我々になじみのない預言者という言葉が出てきます。預言者とは、神からの言葉を預かる人であり、その主な役割は批評です。聖書を読んでいて、預言者のやることは、神の言葉を託されたと直感して、特に現権力体制に反対して、人々の生き方を悔い改めるように言うことです。当たり前ですが、人権の概念がなかったこの時代、そういう人々は基本的に迫害され、殺されます。このような仕事は、神に仕えるような強い確信を持ったモチベーション抜きに行ことはできないのではないでしょうか。

社会的には抹殺されたかもしれませんが、こういった人々が存在したことやその言葉は、その言葉に感銘を受けた人たちの間で引き継がれ、現代でも生き生きと語られています。その一つとして、イエス・キリストの例えがでてきますが、それをサーバントリーダーの重要な要素としての、一歩下がるという形で解説しています。罪を犯した女に誰が最初に石を投げるのかという、「投げるな」「投げろ」とも言えないこの状況を打破したこの言葉は、いまでも生き生きと語られています。

組織は、例えば株式会社でも、最初は地域社会に貢献しよう、従業員にとってもいい会社であり、株主にも多くの物をというコンセプトを掲げていたとしても、限られたリソースの中で、負担と利益を調整する以上、だんだんと倫理的な選択を迫られることが多くなってきます。

どちらを取ってどちらを捨てるのかという困難な問いに対して、常に最良の選択をできることができなくなる、もっと言えばコンセプト、目標の達成の貢献のために働くのではなく、組織の継続のため、組織内の自己の権限や利益を守ることが最優先されることもおこります。ブルシットジョブという言葉が社会的に広まってきたこと、誰のためにもならない、人々に一切貢献しない仕事は無駄なだけではなく、有害ですらあるという状況になってきます。

このような組織の陥りやすい状況を批評し、新たな指針やコンセプトを示すのは、だれが行えるのでしょうか。組織の中で、サーバントリーダーとして、その力を発揮できるのは、一番下の従業員でしょうか?株主と、地域社会と、社員の利害調整をする役割の社長でしょうか?根本的な改革をしようと思うと、これは難しいというのは、自明でしょう。普段の業務の遂行と、コンセプトを立てて、それが有効に実行されているか監督する部門はべつであり、どちらかというと会社の所有者である会長クラスの一番トップの仕事であるといえます。

日々の業務を実行してゆくリーダーと別に、組織のために働く、リーダー「トラスティ」が必要であるといいます。トラスティとは、その名の通り組織の信託を代表する人であります。そして、「トラスティ」は、その組織の問題を改革しうる程度に問題に精通し、サーバントである人間を見つけ出し、その任につかせることという大胆な提言を組織改革の文脈でしています。そのトラスティは、組織のビジョンに共感し、その目的のために奉仕したいという人をエンパワーメントするための存在です。

この発想は、なかなかないものです。本来、運営している理事や、役員こそが権力の集中している場所であることは、自明のものであり、コンセプトを作ることは、何より重要なはずです。しかし、ヒエラルキー型の組織であればあるほど、「責任」という形で管理をしていて、コンセプトや組織運営に関してのフィードバックが効きにくい状況であります。そこで、役員と同等の独立した権限を持つ「トラスティ」というポジションがあることで、内部での批評が起こりにくい環境をよりフェアなものと変革することができるのです。トラスティについて興味がある方は、サーバントリーダーシップでは、それぞれの事例について、詳しく述べられていますので、ぜひ読んでみてください。

構造化され、硬直した組織では「トラスティ」という形のサーバントリーダーシップのコンセプトが有効かもしれませんが、農村地域などのコミュニティが存在するなかでは、リーダーシップの性質そのものを学ぶこと、指導的立場の人間が、ほかの人にどれだけの影響力を持ち、行動の変容につながることをできるかというリーダーシップ自体が重要になってきます。

地域社会やコミュニティの中では、権限や権力は様々な形で散っていることが多く、権力や権限が会社ほど集中していないでしょう。そういった中でも、先見性や優れたコンセプト、また人々を目的のために説得する力や、行き詰った状況を打破するための一歩下がるというテクニックは必要であります。また、サーバントリーダーシップの重要な点は、新しいコンセプトを今ある行き詰ったシステムを、一からやり直してというものではないことです。特に、存在するコミュニティや地域社会は、外から人を得ることも、今のコミュニティを壊すこともできない状況です。

傾聴することや、受け入れること、ケア、ヒーリングなどの一見リーダーシップという言葉から遠い概念に多く言及されているのは、それは人が変わってゆき、人を育てるうえで外すことのできない概念だからでしょう。リーダーシップをとるということは、人々が変化してゆくように行動することであり、学校のように知識を詰め込むのではないにしても、教育的である側面があります。むしろ、リーダーの権威からの命令ではなく、サーバントとしての行動に影響され、人々がおのずと変化してゆくような世界観かもしれません。そういった人間の変容を促せる素質こそが、これからの時代のリーダーシップに求められるのだと思います。