パーマカルチャー

自然と人を通して私たちに必要なデザインを描くこと

アジア学院でのパーマカルチャーデザインコース、今回で3回目になりますが、今回のテーマは、自然と人を通して私たちに必要なデザインを描く3日間という形での開催となりました。

アジア学院は、いつでもエブリシングパーマカルチャー、すべて見るもの暮らすものすべてパーマカルチャーの要素があるような場所です。この場にいるだけでも、土をはじめ鶏、野菜など農的な循環の学びがある場所ですが、冬のこの時期に行っているのは、情報量が多くなりすぎる傾向のあるパーマカルチャーですが、特に自分たちに、世界に今どのようなデザインが必要なのかということを、深めるには、プログラムが忙しくなりすぎない、最適な時期です。また、今回少人数だったため、アジア学院に滞在している国内外のワーキングビジター、ボランティアの人と交流し、共に学ぶ会になりました。

僕自身がタスマニアで、オーストラリアの人だけでない多様な人たちと、コミュニケーションにもそれなりのストレスがある中で、本当に自分の学びたいことを学ぶという原体験があり、自分自身がパーマカルチャーデザインコースをつくる上でもその感覚と、実際にお互いの間にある様々な境界を越えて、何かを共にデザインをするという力強い経験ができる良い場となりました。

今回のプロセスでは、特に「今、私たち、世界に必要なデザインとなにか」という問いが中心にあります。それは、パーマカルチャーを学びに来たい人たちは、今回も自分の自由にできる土地を持っているわけではなく、どちらかというと人生の転機であり、これから自分はどう生きてゆきたいのか、自分の人生のテーマがある中で、自然と人、社会とどのような関係性を作っていきたいのかということが今の問の中心であり、そういったことを探るにも、パーマカルチャーの考え方や倫理、原則、デザインするプロセス、また特にコンセプトを作る、ビジョンを描くことは有効です。

今回、アジア学院では学園長先生のお話をお聞きしました。その中でも、サーバントリーダーシップということについて中心的な学びをして、特に組織論の側面や、組織の変革やリーダーシップについて経験を交えて対話する時間がありました。特に、トップダウンの組織の中にいる中で、どうやって組織を変革するために、仲間を見つけ、対話を重ねてコンセプトを共有し、それをどのように、組織の中で育ててゆくのかという話題もでます。

その素質の中で、いわゆる「奉仕」的な面が注目されがちなサーバントリーダーシップですが、先見性や言語、コンセプトの側面を今回は特に中心的に議論してゆきました。ここまでそのようなことを熱心に議論したのには、一見パーマカルチャーに関係ないようですが、実は、コミュニケーションやビジョンの共有、コンセプトをどう描くのか、ということは、デザイン思考、システム思考において核心的に重要であり、またそれらの力を使っているパーマカルチャーにおいても、非常に重要なものであるからです。

コンセプト抜きのパーマカルチャーデザインは、以前行われてパーマカルチャーという名のついているものの表面を模倣するだけのものとなります。それは、パーマカルチャーの本質を「目に見える形」として捉えていて「ひとつのデザインの体系である」ということを、そもそも把握していないことであります。

むしろ、先見的であり、システムのレバレッジポイントをきちんと抑えているコンセプトができたとしたら、デザインは自然に決まってくることでしょう。例えばスクールガーデンを作る上でも「生物多様性」「学校で食べられるもの」「学校に居づらい子供たちのケア」というようなコンセプトが考えられます。

「生物多様性」であれば、例えば畑という固定概念から離れて、バッタなどが住めるような草原性の場所や池、丘や沼地などのエッジを作ることも一つのアプローチです。

「学校で食べられるもの」であれば、畑のデザインだけではなく、カリキュラムや給食システム、また作物のできる時期と収量などのシステムをどう統合するかということが、核心になってくるでしょう。

「学校に居づらい子供のケア」となると、どうしたら保健室よりも魅力的でかつ、学びがあるような場所にするのか、また作業をどのように子供の自主性を伸ばせる形でデザインできるかが、レバレッジポイントとなってきます。

今回行ったことは「いま私たちに必要なデザイン」のコンセプトを考えることですが、ここはアジア学院。普段暮らしている「私」だけではなく、ボランティアに来ている国際色豊かなメンバーの「私たち」を考えなければならず、また自然と人とが循環の中で食べることと暮らしの距離が限りなく近い世界です。

それぞれが歩む人生の途上にいて、どこからきたのか、そしてどこへ向かうのかということが、全く違う人たちがそこにいます。そのなかで、お互いに共通するテーマを見つけて、何かの形でアウトプットする高度なコミュニケーションを要する作業でした。

2つのチームに分かれて作業を行いましたが、コンセプトを考える切り口として出てきたことは、自分自身の個人的な課題から出発してそれぞれの課題へと橋を渡して対話する作業、もう一方のチームでは、グローバルな課題、個人個人のレジリエンスがない社会という社会構造と概念から出発して、より具体的なイメージにつなげるという作業を行っていました。もちろん、参加者は、普段から英語を使っているわけではなく、頭の中のイメージを伝えることや、感覚を伝えることに苦戦しつつ、橋渡しをして、ファシリテーションをする役回りを引き受ける人や、不完全ながらもコミュニケーションを取りに行く、目の前の今のことをとりあえず実践してみることから始めたりする個人個人の成長がこのプロセスの中でもあったようです。

イメージとして言葉として出てきたことは、「よわさ、もろさと強さの両方がある世界に生きている」「橋を架けるひとが重要」ということや、「目の前の小さな変化を起こす、まずやってみることが重要」「小さな変化が意味のないことではなく、一つ一つの変化が連鎖して、大きな変化になることがあり、行動することには意味がある」というイメージが、それぞれの経験を通した対話の果てに、でてきました。

世界に対してのイメージをどのように持つのか、またそれに対して、自分がどのような態度でいるのかということは、プログラム/フィールドのデザインに先駆けて重要なことです。パーマカルチャーでいえば、自分自身のデザインのプリンプルを作るようなことであり、ローズマリー・モローの「Earth Restores Guide-地球を再生するガイド-」としてのパーマカルチャーなのか、師匠のハンナの「Good Life」のパーマカルチャーなのかというように、UNITEDとして言い続けていることですが、パーマカルチャーを学ぶことそれ自体ではなく、それを自分自身の日常や世界に対してポジティブなアクションを起こすための道具として、その人それ自身がどのように獲得してゆくのかということが、このコースにおいて抜き差しならないほど大切です。

デザインに先行して、多様な他者の中で自分自身のニーズを深く知ること、また自分自身の世界を広げるために他者との深い対話の中で、世界のことを考えること。そのプロセスを経て、初めて自分自身の中にあるものを超えて誰かに伝わるものになるのだと思っています。私たちは、何かに反対することや選ぶことそれ以上に、何かをデザインしてゆく責任があるという立場がデザイナーの倫理として存在すると思います。そして、何かを作るのであれば、それは自分自身を超えたところにも訴えかける普遍性という力を獲得して初めて、人のためになるものになってゆくと思います。そして、人のために何かを作りたいという態度それこそが、リーダーシップの根源にあり、世界を変えてゆく力の源にあるものであると、今回の3日間を通して僕自身も感じました。

アジア学院でのプログラムは、また2月に。次回のプログラムは6月末の金土日で企画中です。ぜひ、興味を持っていただいた方はご参加ください。