パーマカルチャー

有機農と自然農とパーマカルチャーその2UNITEDブログ第36回

有機農と自然農、パーマカルチャーを学ぶのに、なぜこの2つの農法に触れるの?そもそもどういう関係?ということから、簡単に説明してみます。

パーマカルチャーを教えつつ、自然農の講座や暮らし方をしている人は、安曇野のサイトや、全国各地を飛び回ってパーマカルチャーと自然農の講座をしている人もいるので、同一視されがちです。

一方で、パーマカルチャーというのもひとつの農法で、森林のような果樹や野菜、畜産を組み合わせたアグロフォレストリーをするということをさすのだというイメージもあるかもしれません。

このあたりの誤解は多く、デイビッドホルムグレンは、パーマカルチャーが、必要な労働力が少なくて、手をかけなくても作物が沢山なる、まるで魔法の農法をついに開発したのだという言論が世に出回っていることに対してきちんとした説明をしています。

まず、パーマカルチャーはそもそも何かというと農法を教えることではなく「デザインの体系」です。つまり、有機農業や自然農の手法を含めて、どういったデザインをつくったら、それが自分の暮らしの目的に対して最適になるかということを作ってゆくための考え方のツールです。

デザインってそもそも何?という疑問がここで生じるかもしれません。

一つわかりやすい例で説明すると、家と畑があって、その畑をどうやって作物を作るのかというところから、有機農業や自然農を学び始めようという人は、出発すると思います。 

一方で、デザインということで考えると、そもそも家と畑が分断されているのは、労働力も、生産性も不合理ではないのか、家と畑を統合したガーデンファーミングという手法をつかうことで、日々消費する作物を作ることや、コミュティから必要なものを得るためにデザインの力が使えないか?というところから出発するのがパーマカルチャーです。

さて、次に有機農業や自然農がパーマカルチャーにどうかかわってゆくのかということですが、どちらがよりパーマカルチャー的かということに関しては、どちらの長所、短所も知り、最適な組み合わせをすればいいというのが答えになります。

有機農業は、単位面積当たりの生産性が高い手法、自然農は、単位労働力あたりの生産性が高い手法とデイビッド・ホルムグレンは位置付けています。詳しい方が読むと、有機農というと、どの有機農で、自然農というと、どの自然農という疑問を持つかもしれませんが、単位労働力、単位面積で考えると、シンプルになります。

労働力をかける手法として、

・構造物をつくる

・ぼかしをつくる

・動物とくみあわせる

・肥料や資材を投下する

ことなどが挙げられます。

一方で、植物の遷移に任せて不耕起で、最低限の雑草の抑制や果樹を育てることによって、できる限り観察や生態系の力を引き出すことによって、労働力を減らそうという自然農の手法もあります。

詳細には踏み込まないものの、動物性資材を投入しないものの、透明マルチを使う菌ちゃん農法や、不耕起でCO2を抑制するリジェネラティブ農法など、目的や手法の相違によって、様々な言葉や手法は増えてゆきますが、その土地の生産性をどこまで引き上げられるか、そしてかかる労働力はどれぐらいかというその2点で物事をみてゆくのが、シンプルで応用可能なものの見かたであると思います。

自分が実践しているのは、拠点の富士宮からミカンやビワがある実家の静岡市まで往復100キロあるので、必要最低限の日数の労働に抑えつつ、木々が健康であるための最低限の肥料やコンポスト、落ち葉、剪定などは入れるようにしています。

そもそも、どういった農法であれ、家庭やコミュティ、販売するのであれば取引先で消費できる以上の生産をしてしまうと、それは余剰分になって無駄となってしまうこともあります。また、自分もミカンやビワで感じていますが、とりすぎたミカンを加工して消費するのに、草刈りで使う以上の時間や労力を、収穫、発送、加工にかけることにもあります。

そのあたりの収穫物のデザインと日々の消費のニーズと自分の時間の余剰に関してのデザインは、おもっている以上に繊細かつ複雑なもので、農法だけに着目してしまうと、見落としがちなところです。

また、自然に良いことをしようと思ってコンポストを初めても、日々生産される分の肥料を消費しなければならず、自然農で有機物を入れないということだけにとらわれると、コンポストで生産したものの行き場がなくなったりします。

一方で、柔軟な考え方で組み合わせをすることによって、余剰になってしまった野菜を鶏に消費してもらうことや、豚のためにどんぐりの木を植えること、ヤギに雑草を食べてもらい自然農で作物をそだてることや太陽光パネルと組み合わせること、地域資源を使って、鶏のエサを作ることなど、発想がどんどん自由になってきて、気が付かなかった身の回りの重要な資源に光をあてることができるようになってきます。