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ブログ39回-人権としての科学・特権としての科学とわたしたちの作る文化-

もののけ姫が、今の自分を形作る上で重要な映画で、環境と人間の関係性について考えているなかで、ジブリのだしている書籍や言葉は、参考にしています。10年前、学生だった時にジブリの「熱風」という雑誌を購読している中で『近代のめぐみ』という渡辺京二さんのインタビューがあった。大人になっても何度も読み返しています。近代の恵みは、自由、平等、人権が生まれた事であると考えられているが、実質的には生活の向上が近代の恵みであったのではないかと。

一方で、渡辺京二さんの描写する江戸時代の庶民の暮らしを描写した『逝きし世の面影』の世界には、近代以前の社会システムでも、自由、平等また人権のようなものが担保される世界であったということも描かれており、今の時代の恵みは、端的に物質的な豊かさの向上であるとも指摘されます。

 逆に呪いとして挙げているのは、自然と人間が切り離された世界ということと、インターステートシステムという、国同士が、国際的な秩序の中で、序列を争う国際競争の世界経済につながれてしまったことであり、国が豊かになるということと、個人の暮らしの向上は切り離せないことであると。

 世界の人口化は「生産性」という概念で分かりやすいが、国際競争の貿易で勝つには生産性の向上が必要であり、それは、農業や輸出産業でいえば、鉱山や養蚕から始まって鉄などの重工業から電気化学、石油化学と推移し、自動車、電化製品、そして現代にいたって自動車、IT、ロボット、AIと移り変わってきて、SaaSビジネスなど、インバウンドなどのサービス業が台頭し、労働力あたりの生産性を高めてきました。

 この間、自給農業や漁業などの「生産性」は、労働集約型であり、土地を広大に使うことができて、機械化、単一化ができれば単位労働力当たりの生産性は高まるが、日本は土地が狭く、また余剰分というよりは自給的な暮らしをしている地域は、生産性は高くなく、また自然と人間が関わり合う暮らしは、労働集約的な暮らし方にならざるを得ないと思います。

 一方で、インターステートシステムは、うかうかしていたら、国際競争のなかから叩き落され、国際的な地位が下がり外貨が稼げずに輸入するエネルギー、石油価格や食料などの値段が上がってゆき、国際的な競争力が落ちてゆき、かつ国民生活も厳しくなる世界だ。よく「国益」と話されることは、こういったものだろう。安易に成長を犠牲にして自給的な国家にということや、今と全く違った市場を通さない社会システムの構築が可能だと思うのは、楽天的すぎるきらいがあります。

 こういった生産性を追求する狭間で環境問題が起きる。単純に善悪の問題で、だれか悪い人がいて支配と解放の対立の構図であったらどんなによかったことかと思わずにはいられないぐらい、相克の狭間で対立―conflict―ではなく、その対立や矛盾が重層的に重なり合う形で摩擦―friction―と呼ぶにいい形で存在します。

 インドネシアの南カリマンタンの森林破壊に関して、アナ・チンが『摩擦』の中でその重層性を詳明したように、日本では、1950年から、水道管などに使われる塩化ビニールの原材料を作るために、アセトアルデヒドが生産され、その触媒として用いて使われていた水銀が有機化され、塩化メチル水銀などになり、そのまま海に流された。丁寧に資料を見てゆくと、汚染物質は、大量の水で薄めれば大丈夫であるということや、無機水銀が有機水銀になるわけがないということいろいろな言説が排水を出す側にあったが、環境中で小さな生物から大きな生物、魚をたべ、そしてそれを食べる生物、人間へと生体濃縮が行われたこと、また有機水銀が生まれる状況にあったことが公害を引き起こし、水俣病が想像もつかないぐらいのスケールで発症し、一企業が人々のニーズを保証できる範囲を超え、60年以上にわたって病気や原因物質は残り続けます。

また、2011年の福島の原子力発電所での事故で、表土森林や自然の力で表土を作ろうとしたら、100年で1センチしかできない表土を除染のため剥いでいた時代に、大学生活を送っており、自分にとっても生活の実感をともなってこういった問題は現在のものとして存在しています。

 過去起きたことは、根っこが残っている限り、現在に通じ、また未来へともつづいてゆくものであり、過去から学ぶことができることは、未来に起きうることを、まなざすことでもあり、また目の前の現実にも力を持つものだと思います。

 アナ・チンの『マツタケ』『摩擦』を読んで感じたことは、現実は善悪の構図を凌駕し、様々な人々がそこで関わっており、それを詳細に明らかにしようとすることは、複雑な構図を一つ一つ紐解いて行くという作業で、そこには多くの声があります。また、60年という歳月を様々な人が人権のために戦い、国や企業の責任を追及した水俣は、石牟礼道子さんの『苦海浄土』をはじめとして、多くの人に書かれ、語られているがその暮らしや関係者の人々のそれぞれの立場によって、相反するニーズや異なる病状、また周囲の人間関係のなかで自分が病気であるということを言い出せず、申請できないなど、詳細を追えば追うほど、その内容も込み入ってきます。

 こういった多声的な場に対して、だれが正しく、だれが悪く、こういった形が救済であると、画一的な形でアプローチをするのが、正義であるとは、思えなくなってきます。そもそもの問題の根っこが、近代の世界、背後には国際競争のインターステートシステムの中に組み込まれている近代国家という主体があり、その中で成長する企業が生んだ雇用によって生活している人がおり、その企業から税収の多くを得ている市があり、保証を県債で賄っている県があり、その生産物の豊かさを享受している多くの人の暮らしが存在する以上、一度問題が起こってしまったとしたら、相克は免れえないことは、地域の事情を知れば知るほど痛感しました。

 公式謝罪を決めた水俣市の吉井正澄さんという市長さんが亡くなった際の日経新聞の言葉「水俣は、今はビリだが、環境でトップを取る」という言葉に惹かれ、興味を持ち1992年のリオサミットから、タスマニアのデボンポートと姉妹都市を結び、人口規模が同じぐらいの都留文科大学のある都留市に大学の視察に来たという話は面白かったです。

 特に、水俣の問題の政治的な解決ということに尽力して、1995年にそこに至るまでの1994年の謝罪からの調整や交渉などの働き、特にそれぞれの立場とニーズを理解して行動する姿勢やリーダーシップが唯一、相克の現実を「もやいなおし」という言葉で再生させようという力になっていったことを感じます。

ここに引用させていただいた吉井正澄さんも、石牟礼さんも、冒頭に引用した渡辺京二さんもすでに亡くなっているが、水俣の水銀の汚染とその影響は、過去の話ではなく、現在の話であり、子供の時や、胎児性という形で暴露して病気と共に今も生きている方がいて、その場所で収入を得て暮らしていかなければならない市民がいて、日本の各地で起こっているように人口減少や空き家などの問題は、同じように地域にやってきています。

 出会った言葉の中で、「特権としての科学」と「人権としての科学」という思想家の鶴見俊輔さんが、科学者の武谷三男さんという人の言葉を引用して水俣の事を批評していることが、印象に残りました。「人権としての科学を必要とするのは、チッソの公害の被害を受けている人で、その知識を手に入れたいわけですが、特権を持っている人はその道を閉ざしている」という言葉です。水俣の公害が起きた時に、科学への向き合い方として、人権のために働いた人は多かったはずで、それは一方で擁護するために会社や大学の中で地位を得ながら、その特権を守るための科学をした人もいたのも事実でしょう。

 環境を語るときに常に意識していなければならないこととして、私たちの必要として科学が存在するかどうかということは、とても大切なことだと思います。今時代が変わってゆき、私たちの必要と想起されることは、科学知識というよりも答えをくれるテクノロジーであり、難しいことはやってくれる社会のシステムであると思います。一方で、これらのものはともすれば特権を擁護するために働きうるものでもあるのだと思います。

 科学のもともとの役割として、社会が農業に従事する人が人口の多くを占めていた時代は、生産性の向上が科学の役割であり、ハーバーボッシュ法の空気中からのアンモニアの電気分解による窒素肥料の生産が行われ、それは金肥に頼っていた多くの人の暮らしの生活の向上のための科学としてあったはずです。それは、チッソが会社として大きくなって硫安の生産を初めていくきっかけでもあります。

 一方で、宮沢賢治が童話を多く残しつつも、農村の学校の教壇に立っていたこと、ノートにも童話や空想の話だけではなく、化学の基礎知識や土壌の事などをしっかりと記述し、それが人々の中に広くいきわたる結果として暮らしが良くなること、翻って言えば、むしろその時代には、それだけ科学に対して強い「必要」があった時代であるともいえます。そして、賢治の科学の仕事は、その必要に答える人権としての科学の一つの在り方を示すものだと思います。

 人権としての科学として思い出すこととしては、那須塩原で放射能が検出された際に、自分たちで作物の放射線量を測るベクレルセンターを立ち上げたこと、また、その安全性と地域の産業で折り合える数値を市民活動として行い、市民の対話の中で決定していく動きが、行われていたことです。また、原発の事故を受けてから、自分たちで電力を自給するワークショップを友人がおこなっていて、僕自身もコンポストやボックスガーデンを作ることをしていますが、複雑さと日々の生活習慣の変更、またそれに伴うトラブルや負担を引き受けることのトレードオフは避けられないものの、それは人権としての科学に資する活動でもあるのかとも思いました。

 陰謀論とAIがはやる今、答えは昔の宗教のようにそれを全面的に自分に信じさせる力技を私たちが使うことによって、複雑な現実を一つ一つ自分の頭で考えるという作業から切り離してくれる特権を私たちに渡してくれます。それは、いいこと悪いことを抜きにして、魅力的である世界でもあるということは、直視した方がいいように思います。現に、消費社会の魅力と問題は、「自分自身以外の責任から免除されること」ということであり、これだけたくさんの情報が入ってきて忙しい現代で、考えないことは魅力的にうつってしまうように思います。

 また、本来は人間のためのシステム、弱者を救済してゆく福祉国家のシステムですが、こういったものも、私たちの日常や社会に小さな特権が存在している以上、それも形を変えて特権のためのシステムとなるのか、人権のためのシステムとなるのか、それは常に紙一重であるのだと思います。

江戸時代に、「自由、平等、人権」という概念が無くても、人々がうまくやっていたように、今の社会のニッチを探って、うまく生きてゆくあり方や、世界とのかかわりを探す方法は、あるとおもっています。一方で、一つ一つ理解しながら事実を積み上げて自分の頭で考えること、複数の対立している相克の現実をもやいなおすこと、そういった人を育てる風土がなくなってきているように思います。

文化も、人々の活動からつくられるのであれば、それは一つの身体と実態を伴った風土であり、それを必要とする人がいなくなったところには、対話することや人権としての科学が育つ土壌が少なくなってくるように思いますし、逆に人権のための科学やシステムを自分たちの手でうまく作って生き延びてゆくこと、いまこれだけ水俣の事を調べようと思うと多くの書籍や感受性に触れることができるように、多くの先人の人たちが残していった文化と同じように、私たちの活動によってでもできるのではないかと思います。