ブログ40回パーマカルチャーDavid Holmgren「私たちにプリンシプルは必要か」読解ー自分自身の実践ための科学
パーマカルチャーの説明をしようと思うと、倫理とプリンプルというのがあってというところから入ってしまいがちだ。しかし、そもそもなぜプリンシプルが必要なのか?というところから、語る人は少なく、その問題意識は12のプリンシプルをまとめたデイビッド・ホルムグレンも感じていたようで、コレクティブライティングに2004年に国際的なパーマカルチャーの集まり、IPCに向けて書いたものが掲載されていた。
端的に言って、2つの理由がある。
まず、土地、土地によって、気候、地質、植生が違う。
そのため、いわゆる普遍的な方法が通じないし、スケールをする、最適解、この農法を行ったらすべてうまくいくという言説は、物事の半分しか語っていない。まずきまった農法があったとしても、それをローカライズしてゆくプロセスは各自に委ねられ、創意工夫が必要だ。
例えば、日本でも蛇紋岩質のマグネシウムが沢山含まれている土壌と、砂地、石灰岩の土壌、関東ローム層などの火山性の鉄が含まれている土壌では、その土地を支配するルールが全く違う。そして、同じような基礎的なルールとして、挙げられるのが動物だ。都市や郊外の野生動物がいない世界、猿がいる世界とキョンがいる世界、シカの密度が濃い世界で農業を行うのは、どちらも厄介だが、アプローチが全く違う。
このような、多様な地域性というものにまず向き合わなければならないため、いわゆる普遍的に通用する詳細を網羅したハウツーは存在しないと割り切ることも必要だ。詳細に関しては、頭からそれを信じるよりは、実験的に複数試すような個別具体を学び、自らの場所と文脈での最適を見つける調整が必要になる。
次に、意外と直感に反するが、生物や生態系を扱うことは、変化することであり、さらに言えば変化しつづけることだ。パーマカルチャーのゴールとして一つ上げられるのは「食べられる森をつくる」ということが言われがちで、完成系のデザインというものがあるように思える。また、自然界も極相林というものがあり、豊かな理想の森があるように思える。一方で極相林のブナ林やカシ林も、台風や倒木、山崩れなどの「攪乱」によって、ギャップが生まれる。オーストラリアでは、人間の火入れやブッシュファイアがそれにあたり、日本では、富士山のような噴火、山崩れ、地震、台風、人間の圧力などの力も強く、攪乱が頻繁に起こる世界だ。
どちらの自然環境が利用で正解かというよりも、ここで重要な視点は、自然環境は変化するものであると捉えることであり、食べられる森をつくろうとしても、農地も果樹園も、人間の干渉があってそれが維持されるのであり、私たちがその循環の中に入ってゆくことが、パーマカルチャーの根本の態度だ。そのため、私たち人間の行動様式の変化は、共に生きている自然環境に大きなインパクトをあたえ、人間、自分たちの行動様式は簡単に変化する。
こういった変化するもの、多様な文脈に対しての最適解をそれぞれに探すものに対しての、有効な科学的なアプローチとしては、自分自身の行動様式、また自然環境への原理原則の理解と解像度をあげることが、唯一有効だ。
そのために、プリンシプルが存在し、それは私たちの態度に関することや変化するものを科学的に捉えるためのシステム思考への理解のこと、また自然界の中で着目するべきポイントなどをまとめている。
着目するべき点としては、生態系のエッジや多様性の力、見捨てられたものや普段使えないだろうと思われているものの力を引き出すこと、さまざまな形のエネルギーを捕まえて蓄え、最適な時にその力を使えるように収穫することなどがある。また、場所によって自分自身のアプローチを見つけるために、観察して関連付けることや、バラバラよりも統合して考えること、デザインするときは、パターンを決めてから詳細に入ってゆくことなどがあげられる。
最終的には、こういった抽象的なプリンシプルと、具体的なハウツーの実践との間を行き来することによって、自分自身の理論と基礎、つまりプリンシプルを形作ってゆくことが、自分自身の実践のための科学を身に着けることになるのだと思う。
参考文献 David Holmgren “Collected writing &Presentations 1978-2006” article forty two -Permaculture Do we need principles-