パーマカルチャー

近代の上り坂の終焉―ホルムズ海峡封鎖とエネルギーの未来―

2026年の春、ホルムズ海峡が封鎖された。原油価格が急沸している現在だ。

近代が安くて大量のエネルギーを燃やし続けることで成立してきたその前提が終わり始めているサインだ。これを、パーマカルチャーの創始者のひとり、デイビッド・ホルムグレンは、energy decent future―エネルギー下降時代の未来―と呼んだ。それも、もう20年も昔に4つのシナリオを作っていた先見がデイビッドにはある。

これは、どういう視点かというと、石油資源に関してコストをかけずに安く取れる時代がすでに終わっているという点だ。それは、例えば、シェール革命という石油産業のイノベーションを考えてみるとわかる。当たり前だが、コストをかけずにエネルギーが取れるなら最高だ。これは、実は日本でもそういう場所があり、千葉県のいすみ市あたりでは、天然ガスが少し掘ると取れ、日常生活に取り入れている人もいる。これはコスパが最強のエネルギーだ。同じように、アラブ諸国でも生産設備さえあれば低コストで大量の石油を輸出していた時代があった。

一方で、アメリカはたしかに石油資源を自給できるようになった。それが今の戦争を強気にさせている理由ではあるが、逆に言えばコストがかかる。地下深くのシェール層―頁岩―の岩盤を貫いてまで石油をとらなければならないのだ。つまり、簡単に大量にとれる石油はなくなってきたということだ。

この、「近代を後ろから押している」エネルギーという視点で今起きていることを見ると、ひとりの指導者の暴走や善もしくは、悪の体制があるということではなく「エネルギーの未来の不安定さ」という視点から物事をとらえられるようになる。

もうひとつ重要な視点がある。デイビッドの言葉で「人間は貧しい時にこそ協力するが、豊かな時ほど奪い合う」といっている。実際に近代という技術革新がたくさん起きて石油という「新しい豊かさ」があった1900年代は、それこそ戦争の世紀だった。現在もAIという新しい豊かさがいよいよ具体的に人間が使えるようになってきたこともある。大きな変化を迎えている時代だといえる。

さて、大きな世界は豊かになる一方で個人はどうしたらいいのか。一見すると直感と反する「貧しい時ほど助け合う」を少し考えてみたい。普通に私たちは現在社会の変化は不安や恐怖を呼び、石油がなくなる、そして食べ物を自給しなければならない、人は信用できないという心情になるかもしれない。しかし、東日本大震災や熊本地震などの災害があったときに世界がマッドマックスになったかというと、そんなことはなかったはずだ。どちらかというとかなり人々は協力していたと思い出すこともできるだろう。

それは、石油がなくなっている貧しい国をみるとよくわかると思う。世界から石油が枯渇しておらず、これは分配の問題であるにも関わらず、現在石油がなくなって行政サービスが滞っている国がある。それは、西側諸国ではなく今のキューバだ。さて、キューバが現在マッドマックスのような国になっているかというとそんなことはないだろうと思う。

むしろ、ここまでの危機にならなくてもそもそも不足することの多かった日常を送っている人々が助け合っている。そんな日々を送っていることは、訪れた人のブログなどを読めばわかる。ものすごく平凡なことを言うが、必要以上に不安になりすぎずに、今ここの日常を豊かに送って人を助ける余裕を持つことはどうやら大事なようだ。

しかし、その中で一つだけとりあげたいことがある。それは、キューバの人が時々口にする「海外旅行を私たちはできないのだ」という言葉は、私たちはよく考える必要があると思う。それはつまりドルベースの自国の貨幣のポジションについてだ。

貨幣について考えるときに「近代とは何だったのか」ということを一度深く考える必要がある。端的に言うと「グローバルなインターステートシステムに組み込まれ、世界経済の中で自国のポジションを争うことによって、物質的な豊かさが決まること」であると言える。それは例えば、車や建築機械、タイヤなどをはじめとするものづくりやエンターテインメントとしてのアニメ、もしくはエンターテインメントとしての観光で「外貨を獲得できる力があるかどうか」ということはとても大切なことだ。

これは、ウオーラー・ステインの述べる世界システム論が言っていることで、パーマカルチャーの中の言葉ではない。それにもかかわらず、デイビッドが未来の自分たちの暮らしのリソースのなかで「ドルベース・ポジション」ということをきちんと入れていることはとても大事だ。ここが地域通貨やブロックチェーンではないということは、彼のリアリストとしての卓越だろう。

つまり、危機が迫っている、石油が入ってこなくなっている現実に対して安易に自給自足の暮らしにシフトするのだという主張をすることは、キューバのこれまでと今の現実、またデイビッドの視座のこの二つを踏まえると現実的ではないということだ。

さて、ここまで国民国家のシステムに組み込まれ、それによって国民国家の豊かさが決まるという話をしていたが、これが個人の幸福に直結するかというと正直そこまで関係はない。大家さんが豊かであって家に投資をしてくれていて、私がWi-Fiを安く使えるからといっても幸せかどうかは正直そこまで関係がないぐらいの距離感でとらえたほうがいい。

これだけ国際的なポジションに強く力をふるっているアメリカから来た人が「日本はゾンビがいなくていいな」と言っていた。

トランプが戦争を始める一つの口実のトリガーに、オピオイド・フェンタニルの問題があり、石油危機でもないのに強欲のために町中にゾンビがいる現実がアメリカにはすでに存在している。そして、そのアメリカから見たら、日本は社会的な平和や安心がある。

とはいってもここが理想ではないのは、よく私たちも分かっているし、そして、むしろ私たちがキューバや自給自足の生活に魅力を感じる。またどれだけ海外旅行に行けなくて物質的な貧しさがなかったとしても、旅人に「あなたに手渡されるためにこの硬貨は存在していたのよ」という寛容さをもって見ず知らずの他者に接することのできるラテンアメリカの人々の心の在り方に感動できるように、個人の物語と国家の物語の間の断絶と幸福に関しての問いの前で、一度立ち止まってみる必要があるのだと思う。

この地点の言葉を紡ぎ続けている旅する人類学者にアルフォンソ・リンギスがあり、この地点を探求したい方には『信頼』から読み始めることをお勧めしたい。

近代の上り坂と歩んでいるときの思考停止で信じられた価値が解体される中で、価値の問題を考えることが難しくなってゆく。特に、何が難しいというと「選択肢を最大化してくれる手段をまずは確保しよう」つまりお金があることは、共通としての価値だよねという議論では合意形成ができなくなっていることが大きい。

これから、気候変動が加速してくると、お金があってもできないこと、例えば、安全で安価な水と食料へのアクセスがなくなってくることや、安全で安価な教育や地域がどこでも無償で提供されていることがなくなってくる時代に入ってくる。その時にこそ、共通の価値で合意形成がされて、自分たちの社会的な資本や文化を自覚的に大切に守っている地域は、幸福に生きるインフラを整えることができるのだと思う。

そのための具体的な手段として、パーマカルチャーがあるのだということは伝えたい。自分たちの手で、どのような文化を作ってゆくのかという問いを真正面から扱えることがパーマカルチャーの真骨頂であり、この時代にこそデイビッド・ホルムグレンの言葉と思想が力を持つのだと僕は思っている。

建築、生態系、人間の行動の3つの切り口からなるデイビッドの著書Retro Suburbiaの読書会を続けてきて、6年になるが少しずつその内容を発信していきたいと思っている。

最後にここまでよんでいただいた皆様に。

パーマカルチャーを学ぶ場を作りながら、個別最適な形で個人や地域と一緒にどうしたら自分たちの手で、子供たちに手渡せる未来をつくっていけるのか、引き続き考えてゆきたいと思っています。一緒に考えるよという方がいたらぜひ声をかけてください。ぜひ目の前の現実を変える力を持てるように、一緒に考えましょう。