パーマカルチャー

答えのない問いを共に考える場へ

UNITEDでは、2025年度は3つのパーマカルチャーの「学びの場」のワークショップを沼津、那須塩原、茅ヶ崎で行っていました。この学びをどのような思想と手法で場づくりを行っているのか、ここに書いてみようと思います。意外に思われるかもしれませんが、僕が「学び提供する側」としての原体験は、富士山の森や登山のガイドの仕事の中にあります。

―自然の中で伝える活動をしながら気が付いたこと

富士山や自然の中では、参加者が安全に時間を過ごし、自然を理解し、楽しむことが必要になります。そして、ガイドと参加者の間では、自然や危険に対する解像度が違います。目に映るものだけではなく、自分自身の体の状態や、所作についてもそうです。例えば洞窟を歩くときの所作や、富士登山であれば靴紐の良い結び方など、使う道具についても具体的にわかりやすくその場で学ぶ必要があります。木の名前や生態系の基本原則を知っていると体験がぐっと深くなります。

さて、当たり前ですが富士山の森のなかを歩くときに、スクリーンやパソコンをもってゆくわけにはいきません。配布資料も邪魔ですので、基本的にすべて現場にあるものと言葉、やってみて感じることなど、五感を使っての学びとなります。一方的に話すのではなく、会話の中で双方向にコミュニケーションをとります。

そうして経験を重ねる中で地質学の博士や木々に詳しい植木屋さんなど、僕よりも専門性がある人が参加者としてくることもありました。その時には、プレゼンテーションよりも、ファシリテーションという技術が、体験の価値を最大化する手段であると思っています。

―教える、教えられる構造を解体する

ファシリテーション、という言葉を調べると、議論を円滑に回すことの進行役ということででてきます。学びにおいて、なぜ議論を円滑に回す技術=ファシリテーションがでてくるのか、疑問に思った人も多いかと思います。それは、「教える側(情報を伝達する側)」と「教えられる側(情報を伝達される側)」という構造を解体することによって、良い場が形成される状況があるからです。

特に、富士山のように「森林や自然の魅力を感じながら楽しい時間を過ごしたい」といったわかりやすいニーズを抱えている人だけが、パーマカルチャーの学びに来ることはありません。自分の暮らしを自然と人と活かしあう形で再編集したいという場合には、その中に大小さまざまなニーズが含まれており、一人一人の文脈や状況を適切に見定めることが必要になってきます。

そして、一見自然と関わり農的な暮らしをしていないひとにとって無駄な時間かというと、そんなこともありません。人々の文化の中には、食が中心にあり、またコミュニティをどのように作ってゆくのか、私は何を大切にしている人間なのかを問うことは、とても重要なことでもあります。そしてまた一方で農的な暮らしをしている人ほど、コミュニティや自分の暮らしがどのような形で生活の質、クオリティオブライフが上がるのか問う上で、農的な暮らしをしていない人のスキルや生活様式から学ぶことが多くあります。

―聞くことと問いを育てること

だから、学びの場をつくるうえで僕が最も大切にしているのは、先生として「話す」ことよりも、一人ひとりのニーズを「聞く」ことです。ただ聞くのではなく「この人の課題にどんな専門性を持つ人とつながると効果的か」を見極めながらその場その場でコミュニケーションを流動的に組み立ててゆく。これが、学びの場づくりにおけるファシリテーションであると僕は考えています。

パーマカルチャーのワークショップの構造も、同じように「先生」「生徒」のインプットの学び問う形では行っていません。むしろ「自分自身の暮らしを再編集する」視点から何がその人にとって良い暮らしなのかを問います。それこそ本人も模索しながら、第三者の先生にとって答えが全く見えない問いを共に考えなければなりません。

ここで重要なのが、学びの場を作る人の役割は「学ぶ人に伴走する人」であり、良い「問い」を一緒に考えることであると思います。それは、一緒に考えている学びの場を作っている人にとっても、思ってもみなかった結論や場所にたどり着くポテンシャルすら秘めているのです

―伴走することの価値

特に、「価値の再編集」という点において、よい問いを共に考えることがとても重要です。知識の伝達は答えがわかれば済む話はAIにつながればわかることも多く、プロセスを見極めながら対話する必要があるものは、専門性を持つ人とつながることで効果的に解決ができます。しかし、一方で何を大切にしたいのかはっきりしていない、言語化できていない感覚、またとりあえずの答えはでているものの、変化する兆しがあるという状態こそが、伴走する人が最も価値を引き出せる地点だと思います。

一見すると知識の伝達をしていないため、ファシリテーターや伴走車の価値が見えにくく感じられるかもしれませんが「自分自身で課題の焦点を発見して学ぶことのできる人を育てる」という点においてとても重要な役割であると確信しています。