UNITEDについて
UNITEDについて
宮沢賢治が『春と修羅』の冒頭の「序」で語る「わたくしといふ現象は仮定された有機交流電灯のひとつの青い照明です」という言葉を、私はUNITEDについて語ろうとするときのイメージとしてもっています。
私たちは、自然の物語の網目の中と、人間の物語の網目の中で生きる編み込まれた存在です。近代に入り、それまで文化の中に編み込まれていた人間は、一人の人間として尊重される存在となり、その近代の恵みの傍ら、その自由は人との繋がり方を、教えてくれるものではありませんでした。
UNITEDの言葉のとなりに2つの言葉があります。UnityとUniformityという二つの言葉があります。それはそれぞれ私たちの世界へのつながり方の態度において背反する態度を指した言葉です。Unityは多様な人同士が共に生き、連帯してゆく力、Uniformityは多様な存在を画一的にする力。ひとりで生きることのできる時代になった時に、私たちは人と繋がることにおいて、多様性を祝うのか、画一性を求めるのかのどちらかの態度を世界に対してとることができます。
私たちは、目に見える私たちの現実の他にも、多くの物語を手渡され、また次の世代に、手渡していこうとしています。宮沢賢治のまなざしの先にあるように、人間は、人と人の淡い連帯の中で輝く存在であること、自然と人との境がない存在であると感じる想像力も持つことができる存在なのです。人々の想像力が画一的ではなく、多様でありながらも、人と人が共に生きる時代であることを願っており、またそういう世界を作りたいと思っています。
(引用文、宮沢賢治「宮沢賢治全集1」筑摩書房、1987、p.15)