UNITEDについて

「子供たちに手渡せる未来を作る」について。

子供たちに向けて何かをすることの原体験は、富士山の修学旅行でした。富士山の樹海は、おどろおどろしいイメージがありますが、年間何万人もの子供たちが訪れ自然体験が行われています。

修学旅行の事業を行っているガイドの師匠が大勢おり、特別支援学校も含めて「子供たち中心」に思いをもってガイドをしていた人と出会えたこと、子供たちとガイドとして接することを沢山経験できたことは、僕の中の大切な原体験です。

師匠たちから手渡された感覚を元に、これまで仕事を重ねてきますが、一つだけ、忘れられない仕事があります。友人の親から頼まれて、その子と、北へ1週間旅をするというものでした。道中なじみのゲストハウスに泊まりっていましたが、そこは地域、世界に開かれた場所でした。

どういうことかというと、オーストラリア、欧米をはじめ海外からのゲストだけではなく、近所に住んでいる地域の人やもっと言えば、地域に暮らしている外国人、技能実習生として日本に来たアジアの人、また大学を卒業したばかりのスタッフや、日本人の先生など、本当にいろいろな人が訪れていました。

行きあった人と共に、周辺の山をトレッキングしたり、観光地を巡ったりしているうちに日々が過ぎてゆき、料理を作り、音楽を歌い、つたない言語でコミュニケーションしながら、ゲームで盛り上がりという、特別な旅の情景があったのをよく覚えています。

一緒に旅をした中学生のその子は、その旅の中で、日常では出会うことのない大人や、海外の人と共にいる時間を過ごし、音楽と料理は、国境を超えるのだという手ごたえをつかみ、その時の彼の日々は、すごく困難な状況だったものの、その後の自分の人生を切り開くきっかけを見つけたようでした。

僕自身の経験だけではなく、富士山で想いをもって活動している師匠や同志、また分野は違えど、教育の現場にいて第三者が大事なのだ、という志をもって取り組んでいる友人を見ていると「もし自分が子供だった時に、こういう人たち、こういう仕事をしてくれる人たちが存在したら、救われていたのかもしれない」という感情が自分の中にあるのだと知りました。

「子供たちに手渡せる未来を作る」というのは「子供たちの未来を作る」のではありません。そもそもの前提として、僕自身が、このコンセプトを掲げて活動するのは、子供たちのためにと思っているのではなく、どちらかというと自分自身のため、自分の中にいる、同じように救われていない子供、20代の青年だった自分のために活動するのだと思います。

人間は、人種や思想、言語によって、違う人間だといっても、一人の人間としての願いは、そこまで大きく違わないのではないか、特に喪失や悲しみの感情に関しては、分かり合えるのではないかと思っています。少なくとも過去の自分自身がそこにいたら、その悲しみが溶けるような手ごたえを得たものこそが、誰かに「手渡せるもの」であるのだと思います。

それは、人と人とが違うとはいえ、その違いを超える力を持つものであると思います。そういったものが手渡され、誰かの生きてゆくことの力になった時に、過去と混ざり合ったもう一人の現在の自分の願いが、そのことによってこそ、救われるのだと感じます。