富士山について

富士山麓と五合目の自然「あるべき場所にあるべき自然がある」という言葉から。

富士山のガイド仲間で研修をする中で、富士山の自然は、ここにしかないものがあるという意味で特別であるというよりも「あるべき自然が、あるべきところにある」ということが特別なのだという言葉に出会いました。今回は、富士山麓、5合目の自然について語るうえで、この言葉を切り口に考えてみたいと思います。

まず富士山は、マグマが深いところから出ているため、玄武岩の山です。スコリアと呼ばれる砂の層と、溶岩の岩盤の層が、何層も重なって、できています。世界の海洋プレートは、玄武岩、大陸プレートは花崗岩の組成が多いということですが、その玄武岩でできている山です。雄大な風光明媚な自然がある山では、鹿児島県の屋久島が花崗岩、鳥取県の大山が安山岩です。

富士山の噴火で出た玄武岩は、富士山の地形や自然に多くの影響を及ぼしています。日本の自然は、大陸プレートが隆起してできたアルプスを始めとして、氷河期からの植物や、ライチョウなどの生物が多く存在します。一方で、富士山はそういった古くからの固有の植物や生物がいるかというと、そういうわけではありません。日本列島に古くからいる植物や生物が、新しくできた富士山の自然に入り込んでいるというイメージが、わかりやすいかもしれません。「太古からのここにしかない自然」ではなく、「(日本のいたるところで見られる)あるべき自然がある」というのは、このゆえんです。

とはいえ、富士山の噴火によってできたスコリア丘で形成された山、我々のよくなじみのある1000円札にも描かれている大室山は、その噴火からはるかに時がたち、ブナやミズナラ、モミなど、日本の極相林を形成する巨木を有する森です。新しい山で、日本の中では富士山は歴史が浅いとはいえ、その森林は、見る人の心に残る一つの原生林であるといえると思います。

こういった日本の極相林が広がる風景は、日本人がなじんでいる里山と呼ばれる自然とは違うものです。里山は、植物の遷移を途中で止めることや、スギやヒノキなどの植林地を作ること、ミカン畑など、人間に有用な木々を植え、2次林の雑木林が広がるような風景ではありません。

富士山の人間の手がかかり続けている里山のような風景としては、野焼きを行って草原の植生を維持しているところや、牧草地、萱場のススキを取るために使われている朝霧高原や山中湖の裾野や、北麓の富士山周辺の山々が挙げられます。

これらの自然は、原生林でなければ価値がないというのではなく、草原性の生き物は日本各地で広大な草原がなくなっていることと連動して、むしろ貴重なものです。私たちと共に生きてきた自然は、人間が田畑や草原を作ることによって多様になってきて、そこに存在していた生物が存在するのであって、人々がこのような形で、中世以来原生林を切り開き、自然を転形してきたことには、そこに人間の業はあるかもしれませんが、そういった私たちの暮らしと共に生きてきた生き物たちも存在しているのです。

一方で、富士山の中でも、人間の手が入る干渉が少ないのが、青木ヶ原樹海と呼ばれる7キロ四方の森林です。この森は、864年に、どろどろの溶岩が流れもともと一つの湖であった、西湖、本栖湖、精進湖の3つの湖が溶岩によって分断されてしまうほど大量の玄武岩質のマグマが流れてきました。そこから1000年かけて再生した森が、青木ヶ原樹海なのです。特に、周りの山々が、広葉樹の杜で、冬には葉を落として、雪がひとたび降ると真っ白になるのに対比して、青木ヶ原樹海は、ヒノキ、ツガを始めとして、常緑の針葉樹が多くあり、いつ見ても青々としている、樹海で青木ヶ原樹海と呼ばれております。

とても暗いイメージが想起される方も多いかもしれませんが、そのルーツの一つは、松本清張の『波の塔』という作品です。松本清張は、隠ぺいと暴露の作家と評されるほど、日本の闇や社会、政治に切り込んだ作家であり、一見ミステリー、恋愛小説に見えるこの作品も、人間の黒々したものに切り込む作品です。そんな中で、背景に描かれる自然はどのようなものかというと、諏訪の縄文の遺構や、富士川の荒々しさ、耶馬渓や、西東京深大寺など、どこも森深く、風光明媚な自然があるところが描かれています。縄文の人々が暮らした高床式住居にふらっと入って寝て、太古の人々の感覚に思いを馳せる若手の検察官の心にあった場所として樹海が描かれており、そもそもは、好意を持っている女性と二人で一緒に旅行に行こうと話している場所です。結果として、壮大な悲劇のラストをかざる場所として描かれていますが、一度頭から読み進めれば、魑魅魍魎の跋扈する暗い場所として樹海が描かれていることがないと、分かるはずです。

樹海の中には、多くの洞窟があります。洞窟といっても「鍾乳洞」ではありません。鍾乳洞は、太古の生物が死んで残った石灰質がつもり石になった石灰岩の大地が、海の中からプレートの運動によって隆起して形成された大地が、水に溶かされてできたものです。日本には、山口県の秋芳洞をはじめ鍾乳洞もたくさんあります。富士山の樹海の中には、マグマが冷えて固まるときに、ガスや、表面のマグマが固まった一方で、中でまだ流れ続けていることによっても、洞窟が形成されます。その噴火口は、山頂だけではなく、特に南東、北西方向に集中しています。

-上富士山の溶岩洞窟/下秋芳洞の石灰岩の洞窟-

樹海のある山麓、また静岡県側の宝永の巨大な噴火口だけではなく、森林限界近くの富士吉田口の富士山5合目にもみることができます。噴火口は、噴火ののちにマグマが沈んで火口をふさぐため、少し周囲が盛り上がって中央がへこんだものです。今ではへこみに木が生えていることもあります。また火口列といって縦にへこみが続くものをみることができます。

奥庭莊という、通年スバルラインが空いている際には営業している山小屋がある周辺は、カラマツ、シラビソ、コメツガなど、針葉樹の森になっています。サルオガセの仲間の地衣類が木々から垂れ下がり、ミヤマハナゴケというまるでカリフラワーのような地衣類が地上をにぎわせており、そこにコケモモが生え、白山シャクナゲが時期になると花を咲かせます。また秋になると、樹高がまだ低いカラマツが紅葉し、一面金色の森になります。森林限界の森と聞くと、荒野のような場所かと思われるかもしれませんが、雲の上の景色と相まって、その実、かなり華やぎのある場所だと思っています。また、標高が高く、また冬季には極寒の世界に生きる植物には、それぞれにその環境に適応していったしるしや、知恵を見出すことができる場所です。

ここに、登場してきた植物は、日本の他の地域にも見出すことができる植物ではありますが、富士山の広大な裾野と標高差、また、人間の自然の転形の在り方と、噴火、雪代、表層雪崩などによる、自然由来の生態系のかく乱によって、これだけの面積に、かなりの多様性を生んでいることが、富士山の自然の魅力の一つであると思っています。これだけの多様な環境があるからこそ、「あるべき場所に、あるべき自然がある」ということが、価値になっているのではないかと思います。