パーマカルチャー

「親しむ」「理解する」「行動する」について


森にまず「親しんで」「理解して」「行動する」ということを経て、ガイドプログラムが行われると参加した人の変容につながるということが理解できるということを、改めて学びなおしました。このことから少し考察してみたいと思います。「親しむ」ことは、自然が暮らしの中にない生活をしている多くの人にとって、必要だと思います。それは、自然体験やアクティビティ、SDGsに関係するものの消費や、情緒にうったえるようなスピリチュアルな体験もそうであると思います。

「理解する」ということは、より一歩踏み込んだものです。科学的な理解というのは、感情や情緒的なものに飲み込まれることが多く、記事でも「定性的」な記事をつくり、感情に訴えることは簡単です。私たちは感情や気持ちが大好きで、SNSで映え、拡散することは簡単です。一方で「定量的」な視点や反対意見や複数の視点を取り入れることは、文章を読まなければならず、それぞれの仮説や立場を理解するプロセスが入り、複雑となり、理解するのにも時間がかかります。そのプロセスをいわゆる「専門家」に任せたくなる心情は理解できます。

一方で「行動する」ことは、「理解する」ことがどうしても必要になります。「親しむ」ことから「行動する」ことについ移りたくなりますが、理解抜きの行動は危険であると思います。それは、自然環境はすべてが繋がっていてシステムであり、正しいことや正解があることというよりも、地域が経てきた歴史的な文脈にそった倫理的な判断となり「わかりやすい正解」が存在しにくいものであるからです

パーマカルチャーが、倫理を最初に掲げているのは、「行動する」ためのデザインの合理的な理由であり、僕が主催するプログラムとしてはこの「理解する」というプロセスを特に大切にしたいと思っています。30by30やリジェネレーション、生物多様性の回復ということが多くの場で語られ、掲げられていますが、私たちの暮らしている環境は、南極ではないため「私たちと共に生きてきた自然環境」が存在して、それは、関わりすぎているという自然の「オーバーユース」の問題だけではなく、かかわりが薄れてしまっているという「アンダーユース」の問題もはらむ複雑なものであります。

それは、面倒な宿題というよりは、自然環境と私たちの暮らしをどうデザインするかということに「親しむ」だけではなく、「理解する」ことは、とても知的な好奇心の満たされる冒険であると思っています。来週土曜日から、ツキイチ・パーマカルチャー勉強会はじまりますが、参加者募集中です。ぜひご参加ください。

https://permaculture-natureguide.com/archives/program/872